昨日は何処へ行くのか

風呂場からの思索

未知なる本を読む楽しみ

26.juillet.2017

本を読むといえば、小説、それも翻訳された小説しか読んでこなかったが、学問を学ぶ場に足を踏み入れたことにより様々な分野の本を手にとるようになった。おもにそれはレポートを書く為のものであり、さらっと読み流してしまうものであるが、中にはずぶずぶと深みにはまりたくなる分野の本に出会うことがある。そんな本に出会った時、頭をかかえる。

なぜなら、深みにはまるということは、それらの本を丁寧に次から次へと読みこんでいかなければならず、そうするとレポートによる時間的拘束から容易には逃れることができてしまう。つまり、試験が受けられないということ。

だから、レポートをひとまず書いて後々ゆっくりとそれらの本を読もうと思う。

しかし、そのことにも違和を感じる。そもそも時間的拘束は、そうしなければと自らの意思により生み出した部分が大いにある。それならそれを変えてしまえば、もう少しゆっくりと未知なる本を楽しみ、書き記すことができるのに。そしてそれが本来のあるべきスタイルなのでは。

なぜ、その様にしないのだろうか。