昨日は何処へ行くのか

風呂場からの思索

ブルトンの名を借りて

少し試みてみたいことが頭に浮かんだ。

思ったことは、時には実践してみる。

自動記述。アンドレ・ブルトンシュルレアリスム宣言の中で書き、それは溶ける魚として発表された。彼のやろうとしたことは何だったのか。その後一時代を築いたシュルレアリスムとは何だったのか。そのことに言及したいと思ったからではない。

何かをして見たいと思う気持ちは、大概、自身のもっと身近なことに関係する。

タッチタイピング。いつまでたっても身に着けられないこの行為をそろそろ身に着けてみようと、そう思いたったからだ。

キーの配置を一通り覚える。その先は反射的に体が動くよう文字を打ち続ける。

普段、創造物を書く際に、一行を書くのに必要以上の時間をかけてしまう。そのようなことでは決してタッチタイピングとの距離は縮めることはできない。では、どうしたらよいのだろうか。自動記述。それが僕の行き着いた、浅はかな結論だ。しかし、それでも試すのは、好奇心という名のエゴイズムからだろうか。

 

【無題】

白ワインが浮いているグラスの中にひとつの物体が映し出された。それが、若い女性の瞳か、息絶えた蛾なのかは区別がつかなかった。そこなしに寒い夜だった、先月撃ちっとった熊の毛皮に身を包み、三本の蝋燭の前で、青年はその物質を眺めた。眺めるという単語にはいささか不快感を覚える。なぜか、単純である。手元にある本の作者は見るという単語を避ける為に、眺めるという単語を頻出させているからだ。青年は本を閉じる。当然の行為である。グラスの中にはいまだ、物体が映っている。しかし、グラスは乾いた。グラスの中に指を突っ込むことがこの状況を好転させる行為なのかもしれない。

 

 

体力のない私には、一気に試みることはできない。ぼちぼち試みてみる。