昨日は何処へ行くのか

風呂場からの思索

本の中から

批評と臨床 ジル・ドゥルーズ

 

手の届かないところにいるドゥルーズも文学について書いた論集ならば

僕にも一片を触れることが許されるだろうと思い手に取った。

意味もよく知らずに文学という一つの巨大な壁をつくってしまっていた僕は

手足に鉄の鎖をつけてその巨大な幻影をよじ登ろうとしていただけだった。

この本が鎖を一つ外してくれたかもしれないと感じている。

 

文学は、われわれから〔私〕と言う能力を奪い取るような第三の人称が

われわれのうちに生まれるとき、はじめて始まる。

物が私を知覚することなしに私が物を知覚することはないのであり、そのような

ものとしてのあらゆる知覚は、知覚の知覚なのだ。

文学としての健康、エクリチュールとしての健康は、欠如している一つのピープルを創り出すことに存する。

 

様々な言葉が僕の脳を揺らした。そして、なによりも響いたのは、文学というのは、言語、エクリチュール、単語を解体し、新しい言語を生み出すこと。解体する。それは僕が内在的に行うことを恐れていた作業で、自然に生み出てきた言葉を、現存するエクリチュールの内に押さえ込もうとしていた。それが自由を奪うという可能性に薄々気づきながら。

恐れながらにでも、言語を攻撃し、解体することが、言語を守り、生み出すことになる。真実の作家なら当然行き着くところに、僕はようやく気がついたばかりだ。

 

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